試行錯誤を経て、1970年代に「ブランド」は一気に一般化していく。1970年の大阪万博では、フランスのプレミアム・ブランド17社の製品を紹介する企画館、ブティック・ド・パリが大成功を収めた。エルメスやシャネル、クリスチャン・ディオールなどの製品が小物類を中心に一堂に会し、「万博記念」のシールが貼られた香水などが爆発的に売れて、当時で1億2000万円の収益があがったという。同年に創刊された「アンアン」は一般の若い女性向けのファッション雑誌として人気を博し、この年の誌面ではルイ・ヴィトンのバッグを紹介している。続いて「ノンノ」も創刊され、「アンノン族」といった言葉も生まれた。当時のエルメスは一般的な知名度こそ低かったが、銀座のホステスはこぞって買い求めていたそうだ。この頃、「ブランド品」は着物に替わる彼女たちのお手頃な正装になりつつあった。「サンモトヤマ」は銀座という場所柄もあり、こうした女性たちで賑わっていたという。ニクソンショックを契機に円高となった1971年以降、「舶来品」の入手はいっそう容易になった。ただし内外価格差はなお大きく、70年代後半にはパリのルイ・ヴィトン本店で日本人の行列が問題化するようになっている。日本人の海外でのブランド品買占めが話題になるのは、この頃である。偽ブランド品による被害に加え、ブランド側のライセンス供与も急増し、本物、偽物をあわせたブランド品が氾濫するようになった。1978年には、三越をはじめとした有名百貨店から官庁の売店に至るまで偽ブランド品が紛れ込んでいたことが新聞社の調査で判明し、大騒動になっている。当時の朝日新聞記者によれば、昭和天皇のもとにまで偽エルメス製品が届けられたという(佐々木明『類似ヴィトン』)。「JJ」(1975年)や「COSMOPOLITAN」(1980年)といった「お嬢様」志向の雑誌も登場し、ブランドは若い女性にも定着していく。のちに「クロワッサン症候群」として語られ、キャリア志向・シングル志向という新しい女性のライフスタイル形成に一役買ったとされる「クロワッサン」も創刊された(1977年)。エルメスは1979年、丸の内に初の直営店を開き、1983年には西武百貨店との折半出資で日本法人エルメス・ジャポンを設立する。